うばがもち物語

そして時代は移り慶長年間(1596〜1614)、関ヶ原の戦いを経て徳川方が勝利して江戸幕府の誕生に向かうころに話は飛ぶ。

家康が大坂の役に赴いた際、当時八十四歳で健在だった、その乳母が餅を献じた。家康は「これが姥が餅か」と問いつつ、長寿を喜び、その誠実な生き方を称えたといい、流竹葉金ならびに御親筆『養老亭』の三字額を授けた。

凱旋後、また駕籠をここで止めたので、以来、公卿や諸大名が必ずここで餅を求めたという。

口コミだけが頼りの江戸期のこと、当時の文化人といった人たちが競うように『姥が餅』を取り上げ、いわば広告塔の役目を果たし、その評価はたちまちのうちに全国に広まる。

たとえば、芭蕉が食べ、蕪村が俳句に詠む。

 

 

また、近松は浄瑠璃にして常磐津『名物姥が餅』に、そして広重、北斎の浮世絵や東海道名所図会にも登場、伊勢参宮名所図会にも描かれて”草津名物”としてすっかり定着した。
さらには次のような子守唄にも唄われた。

この乳母には後日談があり、家康の威光か、そののち102歳まで生きたとも伝えられている。

永禄年間より数えて四百年あまり。乳母が幼君に奉じた乳房を餅の上に表した独特な、しかも風雅な姿と味は今も草津名物として脈々と息づいている。

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